学力・学習習慣・生活習慣を支えるのは哲学です。
 「家の子は生活態度がだらしなくて困ります」とか「どうしたら生活態度が良くなるでしょうか」などの相談が数多くありますが、今の生徒がそうなるのは理解できます。TV・マンガ・ゲームなどあふれかえった時代に生きている生徒が、飛びつくのは当然であり、大人さえも夢中にさせています。1749年ドイツに生まれた詩人・小説家・劇作家・哲学者・科学者・政治家・法律家であるゲーテは、こんなことを言っています。「われわれの本性は怠情へ傾いている。だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動に真の喜びを感ずる」(若きウェルテルの悩)と、また、1821年ロシアに生まれた小説家・思想家であるドストエフスキーは、厳しくこのように言っています。「あらゆる堕落の中で最も軽蔑すべきものは、他人の首にぶらさがることだ」と、1867年日本に生まれた小説家・評論家・英文学者の夏目漱石は、もっと辛らつに言っています。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と、何とも言いようのない厳しさです。また、ゲーテはこんなことも言っています。「才能は一人で培われ、性格は世の荒波にもまれて形成される」と、彼らは何を言いたいのだろうか。このように理解します。つまり、自主自立が大切だと言っているように感じるのです。生徒は隙あらば親にすがり(甘え)、先生にすがって生きているのです。自分に厳しくすることはまだ出来ません。しかし、こんなことも言われています。「5年生ぐらいまでに自立できない生徒は、一生自立することが出来ない」と、逆に親が生徒から自立できないケースも多いと聞きます。生徒が自立できないのは、自我の目覚めが遅いことも原因の一つでしょう。「われ自覚す、ゆえに、われあり」とも言いますが、自分自身を自覚できていないのです。自覚し自立していなければ、学習にも学力にも影響するでしょう。学塾では5年生で自我の学習をします。自分を自覚した生徒は、見違えるように自立していきます。その時、生徒の自立を妨げるのは、ほとんどの場合お母さんです。「家の子は・・・・・」と言いながら、世話をしたくてたまらないのです。たぶん、子供の数が少ないため自立されると、少し寂しくなるのかもしれません。このかねあいが実に微妙で難しいのです。自立した学塾の生徒は自らの力で伸びていきます。図解すると、学塾はこのように考えています。
学力・学習習慣・生活習慣を支えるのは哲学です。「人間は考える葦である」または「すべての人間は学ぶことを欲する」でもよいのです。生徒に易しく教え自分とは何かを、しっかり理解させることが大切だと考えています。生活習慣がだらしないのは、それを支える哲学を生徒は知らないからです。先生も親も知っているのに、その哲学を現代的に科学的に解説できなければ、生徒は信用しないし、むしろ、古臭いと言って知ることも理解することも放棄してしまうでしょう。 哲学は決して古くはありません。不変の真理とも言えるのです。学塾の生徒は目を輝かして聞きます。そして、理解しようと努力します。新しい知識に貪欲なのが実は生徒なのです。新しいことを知りたくて知りたくて、うずうずしているのが生徒なのです。砂が水を吸うが如くに生徒は、自分の血肉にしていく優れた能力を持っているのです。
 その姿はすざまじいとしか言いようがありません。生徒の理解力は個人個人違いますが、新しいことを知らないことを貪欲に求める意欲は意外に共通しています。「家の子は・・・・・」と言う前に、まず教える側が、生徒が興味を持って聞けるように、理解できるように妥協しないでしっかり学び努力する必要があると考えます。必ず、生徒は良い結果を出してくるものだと信じています。事実、そのようにして考えられないような結果を出す生徒が多いのです。何としても、小学生のうちに努力することが大切なのです。「鉄は熱いうちに鍛えよ」です。中学生や高校生になってからではなかなか難しくなります。個性も強くなりますし、反抗期も強くなります。まだ、可愛らしい反抗期のうちに有効な手を打ちたいものですね。
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