【第3室】 アリストテレスの名言。
 「The roots of education are bitter, but the fruit is sweet.」「教育の根っこは苦いが、その実は甘い。」Aristotle BC384古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉です。教育が実を結ぶまでの過程は確かに苦く困難な日々です。しかし、大輪の花は美しくその果実は努力した者のみが味わうことのできる、美味な果実です。日本にも「良薬は口に苦し」があります。近年、文科省が生徒の学力低下を懸念してか、全国学力検査を実施しています。本年で2年目になるが賛否それぞれだろうが、ここ10年の学力低下は顕著で、それ以前から低下の傾向は出ていた。土曜日を全休にした頃から徐々に始まった観がします。もちろん、そればかりが原因ではない。妙な平等がはびこり100m走で手を繋いでゴールしたなどの笑い話があるほど、教育現場は混乱しました。学級崩壊とか、登校拒否とか、体罰論争とか、モンスターペアレンツとか、聞き慣れない言葉が氾濫して、教育現場そのものが崩壊の危機に晒されてきました。いや、すでに崩壊しているのかもしれません。教師が生徒の暴力や罵詈雑言に耐えられず、休職入院するとか鬱状態に陥るなど、現場の問題が顕在化し同時に生徒の学力も、急激に低下し一斉に「ゆとり教育」なる、訳のわからない論理も哲学もない方針に非難が集中しました。確かに、「ゆとり教育」なる得体の知れない化け物を、生徒に導入した文科省や日教組にそれなりの反省は必要でしょう。だがそれを許した世論に責任はありませんか?学塾は在籍の保護者に警告してきました。土曜日が全休になれば生徒は金曜日から、遊ぶことしか念頭になくなるだろう。誰が提唱したかわかりませんが「ゆとり教育」などと言えば、必ず現場の手抜きや生徒の精神的ゆるみが出てきます。それを防止するために「計画的な自宅学習の習慣を身につけさせましょう」、と主張しそのための実践をしてきました。ゆとりができたのだからその分塾に行かせよう、と言うような安易な考えに走らず、生徒の将来を見据えて何が必要なのかを、しっかり考えて行きましょうと指導し、その方向性は高校でも大学でも通用する、自主計画による自宅学習の習慣が一番大切と考えました。まさに、「教育の根っこは苦い」「良薬は口に苦し」で、この習慣がしっかり身につくには、色々な方法手段を使っても2年はかかります。中にはどうしても定着しない生徒もおります。その原因が子ども連れて遊び歩くことの好きな親だったりすると、指導は困難を極めます。そんな親と同じ遊び好きな生徒でも、学習の大切さを自覚すると、親の誘いを自発的に断るようになったりします。子どもの巣立ちについてくる親さえおります。子離れできない親を持つ生徒は気の毒です。「親離れができなくて・・・」と訴える親の多くの割合は、実は逆で「子離れできない親」の場合があります。親子の関係は実に微妙です。学力低下の問題は大学にまで波及し、某有名大学に入学すると少数点計算から指導する、など笑い話では済まされない現象も起きているようです。少子化の現在、生徒の教育をどの方向に転換するか、たいへん重要な問題になってきました。そんな中で、生徒の将来を見据え腰を落ち着けた対策ではなく、公教育の中に塾教育システムを導入して、即席に学力向上を目指す動きが急です。賛成できません。塾は何処までも塾です。今の状況は公教育の敗北、塾教育の勝利と映ります。小中の教育は義務教育であり、国家が納税者に責任を持つべきでしょう。本来、公教育に私企業たる塾の入る余地などないはずなのです。塾は公教育の補完的役割であるべきと考えます。直接公教育に手を出すなど僭上の沙汰と言えます。私企業だから商売になればよいと言ったものではないでしょう。特に公教育においては?むしろ、先人が言う「教育の根っこは苦い」ことを肝に銘じて、本格的な日本の教育の在り方を議論し、まさに、百年の風雪に耐えうる大計を作る絶好のチャンスと考えます。塾教育が良いなら業者を入れるのではなく、良い部分を公教育の関係者は学習すべきでしょう。公教育関係者のプライドはどこに行ってしまったのか?プライドを失った教師に生徒は信頼を置くでしょうか?「私の先生は塾の先生に負けるんだ」と生徒は軽蔑さえします。それでは、教育委員会も教師も必要なくなります。無駄に国家予算の浪費です。「教育の根っこは苦い」し長期の計画実行は苦しいものですが、生徒にとって何が本道なのか?生徒にとって何が幸福をもたらすのか?考えてもらいたいと思います。物珍しさを新鮮に感じて安易に塾教育を公教育に導入することは、「木を見て森を見ず」になりかねません。
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